人間の神秘と宇宙
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人間の神秘と宇宙

人間の神秘と宇宙

普段、私たちは自分の事を「私」や「自分」と自覚していますが、果たして「私」という主体的な意識の根拠はどこにあるのでしょうか?いったいどこからどこまでが「私」でしょうか?

そして「私」とは何なのでしょう?

膨大な細胞が寄り固まって、1人の人の体で50〜60兆個あると言われていますが、その脳の部分であるのか、それとも心臓の辺り「心」が「私」なのでしょうか?

このように「私」とは一体何なのか、考え始めると次から次へと疑問が湧いてきてしまいますよね?

今回は、そんな自分にとって一番身近な存在「私」と、それにまつわるものについてお話ししたいと思います。

自分のことなのに知らない「私」とは何者なのか?

アスファルトなどで転んでしまった時、ついさっきまで私の一部だったはずの膝小僧を擦りむき、怪我をしてしまうことありますよね。

そんな時、おおよそな「私」は、肉体を指して「私」なのでしょうか。擦り下ろされた様に無くなった私の一部は「私」という自覚を無くしたのでしょうか。

死を迎えた時の、俗にいう霊魂や魂の部分が「私」なのでしょうか。それらは自分を「私」だと自覚できるのでしょうか。

私達が「自分」という主体から物事を見ている時、いったい私たちは自分の何を「私」だと自覚しているのでしょう。

「私」とは何なのか。

何者で、どこから来て何処へ行くのかという疑問を持たずにはいられません。

人類は古代から自分探しを続けてきた!?

人類は自分達が意識を持つ以前、この世界はどのようだったのか、自分達の身体はなぜこれ程精巧に作られているのか、誰が作ったのか、また神の様な力や超能力を使う方法を模索し、実際その力によって種族を統治していたと言います。

アヌンナキの遺伝子とネアンデルタール人を掛け合わせて初代のホモサピエンス、私たちの祖先が創造されたという説もあります。その初期の人類の肌の色は黒っぽく青光りしており、そこから食べ物や気温や地域性によって枝分かれしたと言われています。

ギリシャ神話やエジプト遺跡ピラミッドの謎、世界各地に語り継がれる龍神伝説や、人魚、半獣半人の話も、近年では事実であったと言われています。

私たちが抱える悩みや苦しみ

お釈迦様の悟りのきっかけとなった出来事「四苦八苦」のお話は有名です。

インドの王子として生まれ何の不自由もない宮殿での暮らしの中、東西南北の4つの門で衝撃的な光景を見てショックを受けます。

病人、死人、老い、生まれる事が4つの苦しみ。

さらに、愛別離苦あいべつりく(愛する者との別離)、怨憎会苦おんそうえく(怨み憎む者に会う)、求不得苦ぐふとくく(求めるものが得られない事)、五蘊盛苦ごうんじょうく(自身の体と精神が思い通りにならない事)の計8つの苦しみを見つけてしまい、これらの苦しみから人々を救うことはできないかと真剣に模索し修業を積み、悟りに至ったと言われています。

人間として生きていく上で逃れる事のできないこれらの苦しみを踏まえ、悩みについてお話をしたいと思います。

悩みを転換、成長への階段へ

私たちの悩みは大体大きく分けて「健康」、「お金」、「愛情」とありますが、魂の角度から見れば、これらの悩みは成長するためのツールと言えます。

人間の成長とは大きく言えば、「成仏への道」、「悟り」、「覚醒」、「自己実現」、「自己革命」と言えます。

この悩みというツールを使ってひとつの悩みを克服し、また次の悩みへと挑戦していきます。挑戦しないでおこうと思って、逃げてみても無駄です。

なぜならそれこそが宇宙の原理であり、宇宙を統治している「働き」だからです。

そして、これらの悩みを3つとも克服してしまった人は次のステップへ向かいます。

これらの悩みは外部や自分以外のどこかから湧き出してきたものではなく、自分自身の癖や捻れから生じてきます。

魂が素直で螺旋していない場合、ほんの少しの魂の癖を転換してバランスがとれます。また壮絶な苦体験によって、激しく螺旋した魂の癖を一瞬で転換してしまう人もいます。

そうなると、苦し過ぎる環境や境遇は、ありがた過ぎるツールと言えるのです。

さて、苦しみや悲しみ、素直さなどのツールを使って魂やカルマ(業)のバランスがとれた人が、次に向かうのが自己実現です。自己実現という言い方はいかにも3次元ぽい表現ですが、言うならば、「覚醒」、「目覚め」、「悟りを開く」、「力を取り戻す」、「自分を思い出す」、「昇天する」、「神となる」、「本性を顕す」などと表現できるでしょう。

3次元の人生という舞台設定の主役となってどんな劇を描き、それによってどんな感情を味わうのか。

次はそんな、様々な自己表現のお話をしましょう。

芸術と文化が導く悟り

スティーブン・スピルバーグ監督の「AI」という作品をご存知でしょうか?

子供のアンドロイドが母親を愛するようにプログラムされ、その想いを全うして人として死んでいくという内容です。

私たちはこの話を自分たちはアンドロイドではなく人間であるという観点から見ています。しかし、その視点は果たして真実なのでしょうか。

ペッパー君と自分は違うと思っているのは正しいのでしょうか。

映画「マトリックス」なども私たちが現実と呼んでいる日常よりも本物であり、リアルであると私は確信しています。

本当に私たちは「自分の事を知っている、理解している。」と言えるでしょうか。

映画「リミットレス」なども興味深く、脳の100%を使うと、どんなにすごい能力を使えるのかというような創作です。

ここからは、映画や著書などから導かれる悟りについてお話していきます。

人間が本来使えたであろう能力

私が兄の様に敬慕する、サイエンスライター故今野健一氏著書によると、「宇宙に行くと脳が冴えわたり、悟りとしか言いようのない境地を体験すると、多くの宇宙飛行士が証言している」と記されています。

中でも、テレパシーの様なコミュニケーション体験や、悟りの様な感覚などが報告されているのですが、どうも脳の機能のフル稼動を妨げているのは五感であるらしく、重力を離れた宇宙空間では人間本来の能力を取り戻す事ができるらしいのです。

そこで暝想や祈りによって五感を完全に休止させてしまいます。

すると、自分の中に眠っていた能力が表面に出てくる、言ってみれば、「超能力を使える」ということになります。

カールグスタフユングや、ジョセフマーフィーは晩年、超能力を使い、瞬間移動や遠隔透視などもできたと言われています。空海や、日蓮大聖人、老子と言われる仙人なども同じ能力を持っていたと言われています。

また、中世に盛んに行われた、錬金術なども興味深い文献であります。

そのほか、エジプトに遺されるピラミッドの中にある小さな部屋も、何のための部屋なのか謎とされてきましたが、王が特殊超能力を発現するための重力変動の部屋であったそうです。

超能力を発現できたなら王としての権限が与えられ、その抜きんでた能力を使って統治したといいます。日本でも、明治時代の超能力者として有名な三田光一(善靖)氏の超能力開発の為の指導書などは、とても素晴らしい実践書として有名です。

また明治の小説家 故芹沢光治良(せりざわこうじろう)氏なども、晩年、超能力を日常的に使われていたといわれています。「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念の通り、その著書の数々はまさしく人間の域を超えた神の領域ともいえるものです。

織田信長なども「我は神なり」と言ったとされる逸話や、比叡山を焼き討ちしたことなど、自分が何者であるか、宇宙の真理に到達し、悟ったからではないかと私は思っています。

釈迦やキリストだけではなく、余りにも多くの無名の先人が、覚醒し悟りに到達していったことは、様々な文献の随所に散りばめられていて、私をとても喜ばせるのです。

ユング氏の著書から伝わること

ユング氏が晩年に著し、未出版で親しい友人達にだけ贈ったとされる「死者への7つの語らい」では、自身の悟りと覚醒を、あくまで学者としての見地から科学的に紐解き、その中で人間とは何かを喩え話しを使いながら語っています。

人間は区別するということがその特性です。神には悪魔が対となり、切り離せないバランスを保ち相殺され、宇宙に溶け込んでいます。

相殺され、溶け込んでいますので、無であるし全てでもあります。

神であり悪魔でもあり、存在するが無でもあります。宇宙は全てを含んでおり、また何もないのです。

人間は自分の特性を忘れており、美や豊かさや明るさや楽しさをのぞみ掴もうとします。しかし、対でバランスを保てているのだから、美や豊を掴もうとすれば醜や貧を掴むことになります。

人間の特質はその意識を使って美を望むことではなく、その本来の特質の通り区別することであり、美を区別するならば、宇宙に美が映し出されます。

顕在意識と潜在意識

よく聞くこの2つの意識、顕在意識とは普段の自覚できている意識のことですが、私たちが潜在意識を語る時、普段自覚できている顕在意識を主体、潜在意識を客体として意識していますよね。

立ち位置はあくまでも顕在意識で当然と思い込んでいます。

ですが、はたしてそれは本当でしょうか。

私たちが眠っている間も24時間休みなく体を支配し、必要な所へ必要な物を供給し、狂いなく統治し続ける潜在意識、ということは身体や脳や潜在意識が、今日食べた物まで全てを分かっているというわけです。

ところが顕在意識の私たち側は一体潜在意識の何処までを知っているのでしょうか。

もうお分かりになってきたと思いますが、どうえこひいきして考えてみても、私たち側が客体であり主体のほんの一部であるだけの、主体がうたた寝した間だけの存在に過ぎないのです。

驚きましたか?

でもこれで全ての不思議の辻褄があうのです。

人間の愛しさ

弱く脆く儚い存在である人間、この人間という存在は、なんと愛しく、なんと健気で、なんと素晴らしいのでしょうか。

この弱く脆く儚い存在である人間の人生、この人間という存在は、なんと愛しく、なんと健気で、なんと魅力に溢れているのでしょうか。どうしてこれほどに美しいのでしょうか。儚く消え去る人間が、唯一持っていける物、持ち越しできるものがあります。

それは才能であり、情熱であり、人生で何をなし得たかです。

大それた事柄の必要などなく、その時に味わった、区別したさまざまな感が重要になります。

その時の私たちの感情の色彩がどれ程の美しさであったのか。

人を思いやる時、思いやられた時、どれ程の閃光を発したのか。

友人をいたわる時、いたわられた時、どれ程の美しさであったのか。

キズナを意識した時、どんな美しい感情に興奮したのか。

歌なら歌、絵画なら絵画、積み木の様に次の人生に持ち越されるのです。

最後に

皆さん、共に悟り、覚醒、自己実現を目指して、喜びを感じ合いながら過ごしていきましょう。

一段、また一段と登るツールとして、JoyFunのセミナーや、心理学教室を活用してください。登れている実感が感じることができますので、ものすごく喜びを味わう事ができます。

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